「 小林正観さんからこう聞いた 」 一覧

小林正観さんからこう聞いた第五章②仏法集

正観さんと別れ、私はむしろSKPに入社する前よりも大変な状況に身を置かれることになったと言ってもいいかもしれません。すぐに経済的な問題にぶつかりました。三週間後の家賃を払うあてもなくなる状況になった

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小林正観さんからこう聞いた第五章①序破急

これは芸事の世界の言葉と聞きました。「序」とは徹底的に師匠の教えのとおりに生きること、「破」はそれを破っていくこと、「急」はひたすら自らの道を進むことです。私と正観さんの関係でいうと、第四章まで、つ

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小林正観さんからこう聞いた第四章⑩アナグラム

第一章から第四章までで、私と正観さんの出会いから別れまでを書きました。第四章の最後は何を書こうかと考えていたら「アナグラムをしてみよう」ということが頭に浮かびました。自分の名前を並び替えてそこからメ

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小林正観さんからこう聞いた第四章⑨お別れ

奇しくも私は正観さんが亡くなる二週間前にSKPを退職することになりました。正観さんがそんなに早く亡くなるとは思っておらず、「今後も講演会や合宿には参加します。これからもよろしくお願いします」と正観さ

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小林正観さんからこう聞いた第四章⑧仏性

 正観さんが著書「心に響いた 珠玉の言葉」で釈迦の「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という言葉をとりあげています。実は正観さんがこの言葉をとりあげようと思ったきっかけは赤城正

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小林正観さんからこう聞いた第四章⑦落とし穴

「神様からの伝言講座」という正観さんの講演会が行われたことがありました。参加条件が「正観さんの講演会を合計100時間以上聞いている」「正観さんの講演会、合宿、ツアーに合計200日以上参加している」と

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小林正観さんからこう聞いた第四章⑥受け入れる

 61歳で亡くなる、とおかげさまから聞いていた正観さんの寿命は西洋医学的な治療を受けることで一年間のびました。その辺の話は西本先生の著書「奇跡のセイカン」に詳しく書かれています。その一年間は私にとっ

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正観さんからこう聞いた第四章⑤現実主義

「お釈迦様は現実主義者なのですね」と、ある方が正観さんに言いました。それに対し、正観さんは「そうなのです。釈迦もイエスも現実主義者なのです」と答えました。普段から淡々とした口調の正観さんですが、とき

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小林正観さんからこう聞いた第四章④赤城正観荘

赤城正観荘は正観さんの合宿所としては最後に誕生した場所です。正観さんの晩年の一年は、私もスタッフとして伊豆正観荘、光楽園、赤城正観荘の合宿に参加しており、月の三分の一は合宿に行っているというときもあ

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小林正観さんからこう聞いた第四章③喜ばれる

正観さんがご病気になられてから、私にとっては正観さんと一緒に過ごす時間や話ができる時間がかなり増えました。 正観さんは、「私が学生時代もっとも得意だった科目は体育なんですよね」とおっしゃってい

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福祉ではたらく1%の幸せな人々⑦苦しみとは思い通りにならないこと

「思い」を持つことはいいことだとされています。福祉という分野でも、思

福祉ではたらく1%の幸せな人々⑥反省しない

タモリさんは、かつて月曜日から金曜日まで「笑っていいとも」という生放

福祉ではたらく1%の幸せな人々⑤

20代後半の頃の私にとってのコペルニクス的転回、それは「自分が発する

福祉ではたらく1%の幸せな人々④

「感謝」について。ここで言う感謝とは、心の問題ではなく、口に出して「

福祉ではたらく1%の幸せな人々③

「働く」という言葉について学ぶことも幸せになる方法のひとつです。「幸

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