子育てでおさえておきたい「子どもの最善の利益」
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最終更新日:2017/01/28
コラム
子どもの権利条約
「児童の権利に関する条約」ともいいます。子どもに関わる仕事をしている方のあいだでは有名な条約です。真面目に読んでいるのは私くらいかも。
ここでは私の勉強の成果をまとめています。ポイント(といっても私がそう感じた部分です)だけおさえていますので、参考になれば幸いです。
タイトルにも書きましたが、とりあえずこれだけ覚えておけばいいと私が断言する言葉、それが、
子どもの最善の利益
です。条文に複数回登場するこの言葉。抽象度の高い言葉です。「抽象度が高い」とは「潜在的に含まれている情報が多い」という意味です。
それだけに、「これが子どもの最善の利益です」と、それを提出できる人はいません。「何が子どもの最善の利益か?」と一生考え続けるようなことなのです。「私」という言葉も抽象度が高いです。「私」とは何?というのは一生ものの哲学的なテーマです。
そして、その抽象度を一段階さげます。イメージとしては、ピラミッドの頂点に「子どもの最善の利益」があり、その下に次の情報がある、という感じです。
・「子どもの意思」とは?
・権利の主張にハンディキャップがある
・アドボケイト
です。
この3つはつながっています。「子どもの意思」ということを考えるときに、子どもは大人に比べて自分の意思や権利を主張することにハンディキャップがある、と考えるべきだということです。
そして、そのハンディキャップを埋めるためのものとして存在するのが、アドボケイトです。
アドボケイトとは「代弁者」のこと。その子どもの意思を代弁したり、権利を主張したりする存在で、イギリスではひとつの資格を持った職業人として存在するようです。
私の勉強の成果の最後。ひとりの親として、そして仕事で子どもたちに関わる人間として、「これを活かしてみよう」と思ったある方の提言。それは、
揺らぐべき
ということです。言われなくてもいつも揺れていますが。
そして、その揺れている姿を子どもにさらせばいいのです。「子どもの最善の利益」を考える中で、自分がどのようなことを疑問に思い、迷っているかを子どもに率直に伝えることです。
福祉や教育では、職員や教師の「揺らがない」姿勢が子どもたちを導くと考えられていました。大人が子どもの「権威」となり、それで子どもが大人の言うことを聞く、というわけです。
今でも、なんとなく“すごい”職員というのは子どもが言うことを聞く職員、という評価が存在しています。
私はかつて先輩に「それじゃあ威厳が・・・」と言われたことがありますが、それはむしろ褒め言葉と受け取っています。
子どもの権利委員会
この「子どもの権利条約」の遂行に関しては、国連の「子どもの権利委員会」と言うグループが監査や指導を行っています。
2013年に提出された意見書で、私が興味深かったのが、
子どもの最善の利益は動的な概念であり、常に変化しつつあるさまざまな問題を包含するもの である。この一般的意見は、子どもの最善の利益を評価・判定するための枠組みを提示するもので あり、特定の時点における特定の状況下で何が子どもにとって最善かを明らかにしようと試みるも のではない。
です。
本文は英語ですので、日本語に訳すとわかりにくくなるのは致し方ありません。
「子どもの最善の利益は動的な概念」「特定の時点における特定の状況下で何が子どもにとって最善かを明らかにしようと試みるものではない」
というのは、「これは子どもの最善の権利」「これは子どもの最善の権利ではない」と、ひとつひとつについて国連が判断するものではない、ということです。
ということは、もちろん判断をしなければならないのは直接、子どもに関わる人間です。ということは、むしろ「揺らいであたり前」なぜなら「動的なものだから」というところにつながるわけですね。
読んでくださりありがとうございます。