福祉ではたらく1%の幸せな人々③
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最終更新日:2023/03/05
コラム, 福祉ではたらく1%の幸せな人々
「働く」という言葉について学ぶことも幸せになる方法のひとつです。「幸せになる」って言ってしまうのは「今幸せじゃない」という宣言になってしまいますが、ここではひとまずそういう表現を用います。
「仕事」という言葉でもかまいません。仕事と趣味の違いは何でしょうか。趣味というのは100%自分のためであり、仕事というのは100%自分以外の人、物、ことのためです。たとえば、現在、ファミマがコーヒーのWondaとプロレスのコラボ商品を販売しています。プロレス好きの私はそれを買い集めていますがそれは私の趣味です。私が楽しくて幸せならそれでいいのです。他人にとやかく言われる筋合いはありません。一方で、施設で一緒に生活する子どもがプロレス好きで、私がそのコーヒーを買ってあげたら喜んだとします。それは働く、仕事と言えるでしょう。ちなみに、もともと働くことに金を稼ぐという意味はありません。上記の例のように逆に私が払う場合もあります。
働くという言葉の対義語は「はた迷惑」。働くというのは「はたを楽にする」、つまり周囲から喜ばれるということです。ですから、この言葉には自分が楽しいとか自分のためとかそういう意味はないわけです。
ただ実際には仕事でやりたいことをやっている、仕事が楽しい幸せということがあるわけです。それはこの働くということの意味を理解して、周囲に喜ばれていることが幸せ楽しいという意味です。周囲に迷惑をかけて、お金を儲けて、楽しい幸せというのは働くとは言わないわけです。私の場合でいうと、子どもがプロレスが好きでコラボ商品のコーヒーを買ってあげたら喜ばれた、その喜ばれたことを私が喜ぶのです。それを随喜功徳(ずいきくどく)といいます。
ここのところの理解が不十分だと落とし穴におちてしまいます。福祉関係の仕事に生きがいや、やりがいを求めることがそのひとつです。たとえば、障害福祉なら、障害がある人々のお世話をすることそのものに生きがいを感じる方もいるかもしれません。児童福祉なら、特に自分も不遇の子ども時代を過ごしてきた人が、子どもと関わることで自分の心の隙間をうめようとすることもあるかもしれません。
言葉の定義上、それは趣味ということになってしまいますから、結局、自分が満足できなくなったら「やめた」ということになりかねないのです。
ただ、この「喜ばれる」というのは非常に分かりにくい。相手が喜んでいるかどうかなんて分からないですからね。そういう方には、「やる羽目になったことをごちゃごちゃ言わないで念を込めてやる」という言い方のほうがいいかもしれません。
さらに具体的な方法として、「そうじ、笑い、感謝」の三つがあります。どんな形態の施設でもそうじはあると思います。それを毎日、丁寧にやり続けるというのは思ったよりも大変です。直接的に喜ばれることは少ないかもしれませんが、喜ばれる行為には違いありません。
笑いというのは、普段からニコニコしていることです。逆に考えると、不機嫌でいることは、それだけで周囲に迷惑をかけています。そして、「笑って 許して」という歌がありましたが、笑うということはそもそも許すこと、肯定すること、受け入れることです。たとえば、私は(施設の)子どもが門限を過ぎて帰ってきたときなどは、笑顔で話しかけるようにしています。門限を破ったのになんで笑顔で迎えるのか、という意見もあるとは思いますが、ひとまずどんな事情があるかわからないのですから、受け入れるのです。不機嫌で迎える大人がどんなに事情をきいても、子どもが話すことはありません。
感謝については「次に続く」ということで。
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