小林正観さんからこう聞いた第四章⑨お別れ
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最終更新日:2022/08/23
小林正観さんからこう聞いた
奇しくも私は正観さんが亡くなる二週間前にSKPを退職することになりました。正観さんがそんなに早く亡くなるとは思っておらず、「今後も講演会や合宿には参加します。これからもよろしくお願いします」と正観さんに伝えました。実はその半年前にいちど正観さんに「辞めさせてください」と伝えたことがあります。理由については家庭の事情など様々です。合宿や講演会などで月の三分の一は家にいられないという仕事の仕方に限界がきたこともありました。ただ、その時は正観さんから「却下」と言われました。引き留められたのは意外でしたがそのまままたしばらく続けることになりました。正観さんが引き留めたのは初めて」と周囲からも言われました。二度目に伝えた時は「そうですか。わかりました」と受け入れていただきました。
私にとってひとつの区切りと落ち着いたのもつかの間、次の仕事が決まっているわけではありません。「自分は正観さんの下でやっていたくらいだから次のステージが用意されているに違いない」と根拠のない自信がありましたが、それは奢りだったのでしょう。その後、しばらく日雇いのアルバイトで生計を立てることになりました。生活はかなり苦しくなり私は「なんで」と思うこともしばしばありました。それでも、正観さんの下で学べたことで、「『ここから始めなさい』ということだな」と思える余裕はありました。「自分はまだまだだなあ。私にとって実践はここから始まるのだなあ」と思えたのはその頃です。正観さんのそばにいることで、自分まで大きくなったように錯覚していたことを恥じました。「正観さんの七光り」で生きていただけだったのです。
ところで、正観さんが亡くなる一週間前にご本人から電話がありました。「次の仕事は決まりましたか?」という電話でした。「こういう仕事をやりませんか」という打診でした。正観さんの本を読んでいる方なら「それは頼まれごとなのだから引き受ける」と思われるのでしょうが、詳しい事情は話せないのですかそれも受けられる状況ではなくお断りをすることになりました。それから一週間後に会社から「正観さんが亡くなられました」という連絡が入りました。会社にとってもそんな大変な時期に辞めてしまった申し訳なさはありました。今はSKPのメンバーや合宿で一緒に仕事をした仲間には感謝しかありません。
正観さんが亡くなられたと聞いたとき、すごいショックだったということはありませんでした。それまでの一年間、正観さんがいつ亡くなられるかわからないような状況に付き添っていたので、流すものは全部流していたのかもしれません。それでも参加した葬式で最後に正観さんの顔を見た時は涙が出ました。あるときふとこんなことを考えました。「正観さんは亡くなる一週間前に私の次の仕事のことを考えてくれ電話をくれたのか」と。「幸も不幸もない。そう思う心があるだけ。死ぬことも不幸ではない」と本に書いている通りの生き方を正観さんは見せてくれました。文字通り死ぬまで淡々と、喜ばれる実践をしていたのです。
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