学校は選択肢のひとつと考える教育論 親族の反応
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最終更新日:2017/01/28
コラム
不登校
私は仕事も含め「不登校」に関わっています。かつてそれが「登校拒否」とよばれ、学校に行かない子どもは精神病院に入院をさせられていた、そんな時代から関わってきた方たちからかれこれ4年くらい学んできました。
私の娘は見学のときに嫌がっていらい幼稚園に行っていません。年齢的には今年で6歳。「小学校」ということが念頭にあがってくる時期ですが、娘には何度聞いても「行きたくない」。
みなさんだったらどんな反応を示すでしょうか。私ら夫婦は
行かないなら行かないでいい
という立場なのです。「学校に行かせたくない」というのではなく、
学校に行くことは当たり前ではない、学校も選択肢のひとつ
という考え方で、ではほかにどんな選択肢があるかというと、たとえば私が関わっている
フリースクール
です。
このブログでは、そういう考え方で生きている我が家がどんな経験をするのか、私にとってもまだ未知ですが、それを定期的につづっていきたいと思います。
今回は、私の親の反応、です。
私自身は、幼稚園から大学まで、ほとんど休むことなく通いました。大学はそうでもないか・・・。ですから親もとうぜん幼稚園や学校には行くものだと思っているはずです。
とりあえず、私は自分の考えを手紙にまとめて伝えました。
自分の親ですから反応は予想できたのですが、父親は
おまえだったら大丈夫。がんばれよ。(我が父親ながらこの対応はとても素晴らしいと思います)
と言うだけでした。
その一方で、母親は受け入れることができずに、
「小学校中学校は義務教育」
「将来のために学校は行かなくてはいけない」
とまくし立て始めました。私は「子どもにとって教育は権利」と説明を始めましたが、彼女は途中で電話を切ってしまいました。私は親と議論をして答えを出すというつもりではありませんし、理解をしてもらうために努力をする、というつもりもありません。
しょうがないなあ
という感想でしょうか。下手に理解してもらおうと努力するよりも、「理解されないならされないでいい」という姿勢で“淡々と生きる”という方向を選択します。
さて、これに関して私自身が考えていること(考えることは趣味みたいなものです)は
1、“義務教育”をどうとらえるか
2、子どもの“意思”とは何か
ということです。
まず1についてですが、日本国憲法を素直に解釈すれば、
・子どもには教育を受ける権利がある
・国や親には教育を受けさせる義務がある
ということになります。「義務教育」という言葉により、教育を受けるのが子どもの義務であるかのように語られることがありますが、それは憲法に照らし合わせると明らかに間違っています。子どもにとってはあくまで権利なのです。
ということは、国や親に課せられた「教育を受けさせる義務」というのは言い換えると
子どもの権利行使を実現する義務
です。「教育を受けさせる義務」という言葉から「子どもが希望しても希望しなくても教育を受けさせないといけない」というニュアンスで話す方が多いのですが、やはりそれはおかしい。
もしそうだとしたら、結局のところ子どもにとって教育を受けることは義務や強制になってしまいます。
そして、教育イコール学校?という疑問があります。
そこは「事実」や「現象」というところから考えます。フリースクールやインターナショナルスクールなど「学校教育法」の外にある世界というのはこの日本で現実に存在しています。私もそこに通う多く子どもを知っています。
近年、その“現実”が法律を変えようとしています。興味がある方はこちらをご覧ください。
多様な学び保障法を実現する会
私の知人も関係しており、数十年かけてすすめてきたことを私が簡単に言ってしまうのは失礼かもしれませんが、
法律も現実に沿って変える必要がある
ということを如実に表しています。「教育は義務だ」「教育とは学校に行くことだ」という法律の解釈に合わせて現実に“生きていること”の方を変えていかなければならない、ということがどうしても疑問なのです。
次に、子どもの意志について現在の私はこのように考えます。
子どもにとって教育は権利ですが子どもにはまだ権利を行使する能力がない、そういう理由で親が子どもを学校に“行かせる”ということが普通に行われています。
私は昔Sという宗教団体に所属していました。小学校5年生の時に母親が入信をしたので一緒に入らされたわけです。そこで、生まれてすぐに入信させられたという多くの人に出会いましたが、彼らのほとんどは自分が宗教活動をしていることに何の疑問も持ちません。むしろ、すべての人が朝晩の勤行をしているものだと思っていたそうです。
私も妻も本人の意志を尊重したいと思っています。ですから、娘には学校やフリースクール、ホームエデュケーションなどの選択肢あることを教えてきました。
5歳の子ども、つまり未就学児の「学校に行きたくない」という言葉を我が家ではある意味“馬鹿正直に”尊重しているわけです。
子どもの意志を尊重するということ、それをこれから実践的に学んでいくということでもあります。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
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