アレンフランシス DSM5では普通の悲しみが治療の対象に
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最終更新日:2017/01/28
コラム
2016年5月5日
他の関連記事を読んでくださった方には繰り返しになりますが、アレン・フランシスさんは、DSMの第四版の編集責任者です。DSMは、あらゆる精神障害の診断の元となるもの。アレン・フランシスさんは、そういう立場で、「診断のインフレーション」が起きる、簡単にいうと、誰もかれもが精神障害だと診断される、ということを危惧し、著書やブログでうったえています。
今回は、2013年から用いられているDSM-5に対するアレンさんの批判のひとつをとりあげました。以下はブログからの引用です。
Normal grief will become Major Depressive Disorder, thus medicalizing and trivializing our expectable and necessary emotional reactions to the loss of a loved one and substituting pills and superficial medical rituals for the deep consolations of family, friends,religion, and the resiliency that comes with time and the acceptance of the limitations of life.
まとめるとこんなところです(訳ではありません)。
愛する人を失う悲しみ、それは、本来、家族や友達、宗教(アメリカですので)によって慰められ、時間の経過によって克服するもの、そして、命は限りあるものであることを受けいれること
これが“障害”と認定され、薬などによる治療の対象になる、
そういうわけです。
仏教を象徴する花、蓮(はす)。なぜ、仏教ではこの花が尊ばれるのでしょうか?それは、蓮が「泥が濃ければ濃いほど美しく咲く」という特徴をもっているからです。
悩みや苦しみという「泥」が濃い人生ほど、美しい花を咲かせる。そう考えると、悩みや苦しみというのは、本当に苦しみだろうか?という疑問がわいてきます。