70代男性の新聞投稿に批判!子育てを考える
公開日:
:
コラム
批判が殺到しているある70代男性の新聞投稿
私としては「感謝」したいのです。嫌味で言っているのではなく本当にです。というのもこれだけ“はっきり”と“正直”に語っている人は少ないからです。
その記事はこちらです。
[記事]「子は親に従い、妻は夫に従うべき」新聞読者の投稿に批判集まる
批判はもう充分なされたでしょうから、私は「なぜこの方がこのように考えるのか?」を考えてみたいと思います。
上下定文の理
本屋で平積みされていた「日本史図説」という教科書のようなもの。“日本史ブーム”でもきているのでしょうか。
パラパラめくっていたところ目にとまったのが「上下定文の理(じょうげていぶんのり)」です。
これは、江戸時代の初期にいた林羅山(はやしらざん)という方が説いた朱子学(しゅしがく)の言葉です。
この70代の方の投稿と林羅山がどう関係があるのか?
改めて問いかけますが、やはり林羅山が説いたこの「上下定文の理」が大きな影響力をもっているのだと思います。その70代の方がこの説を知っているかどうかはわかりません。
さて、「上下定文の理」とは、
天は尊く地は卑し、天は高く地は低し。上下差別あるごとく、人にも又君は尊く、臣は卑しきぞ
という説です。
これは、「天が上」で「地が下」ということを“絶対的な”真理としたうえで、それをあらゆる人間関係にまで適用した考え方です。
親=天 子ども=地
夫=天 妻=地
先生=天 生徒=地
このように捉え、「親が偉い」「夫が偉い」「先生が偉い」ことの根拠にしたのです。
子は親に従い、妻は夫に従うべきだと思います
というこの70代の方の一言は、「上下定分の理」そのままなのです。
「無礼講」の意味
私はかつて「体育会系クラブ」や「警察」という上下関係の厳しい世界に身を置いていたことがあります。
まさに「上下定分の理」そのままの世界です。
そこで一度だけ実際に「無礼講」という言葉を聞いたことがあります。といっても誰もがそれは“タテマエ”であることはわかっているので、文字どおり「無礼」にふるまう人はいません。
ですから、この言葉も徐々に言われなくなっています。言う方も言われる方も“タテマエ”とわかっていては言っても仕方がないからです。
ただ、そもそも初めからタテマエの言葉として登場したわけはありませんから、本当に「無礼講」というのは存在していたのだろうと思われます。
それが本当の意味で存在できるのは“上下関係が役割”の世界においてです。
「上下定分の理」の世界では本来の意味での「無礼講」は存在しません。それは上下関係を“真理”と捉える世界ですから。
「上下定分の理」そして朱子学という教育によって「上下関係」が役割から真理になってしまった、そのように私は考えています。