引きこもりとは苦しいのか?当事者から学ぶ

公開日: : コラム

ひきこもり


「ひきこもり」の捉え方をおおまかに二つにわけると、

社会的ひきこもり



存在論的ひきこもり

があります。私個人は、

存在論的ひきこもり

の側ですが、知識として両方知っておくのはわるくありません。


2回にわけて書きたいと思いますが、来月(2015年12月)には、

社会的ひきこもり

についての話を聞きに行く予定ですので、それについての記事はそのときで、今回は

存在論的ひきこもり

について取り上げたいと思います。


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当事者の“声”や“表情”


先日、あるお話し会に行ってきました。

存在論的ひきこもり

に基づいた話だと思ってもらっていいです。

話を聞きに集まった方のほとんどは、ひきこもりの子どもを抱えた親の方々です。そういう場所に集まる方々ですから、
問題意識を持っている方々といえそうです。


私は半分仕事、半分興味みたいな参加の仕事で、ひきこもりに直接関わっているわけではありません。


行ってよかった、と思うのは、話を聞く親の方たちの“表情”をみることができたからです。

“知識”としてしかひきこもりを知らない私にとって、そういう当事者の“声”や“表情”
などが大変貴重なのです。

それを前にすると、それまで光輝いていた“知識”がくすんでしまうので不思議です。知識がダメ、というわけではなく、当事者や現場に沿った知識であるかどうか、が自分では判断しようがないので、こういう機会に“ふるい”にかけているのです。




ひきこもりは苦しいのか?


後半は、参加者からの質問に三人の講師が答えるという形式でした。

部屋にこもっているのは苦しいのか?

という質問に答えたのは、ひきこもり経験者の三十代男性。


その答えは、




まあ、苦しかったら外に出ていると思うので、部屋にいるのが居心地がいいからそこにいるんじゃないですか?





というもの。参加者からは

意外

という反応。仮に「ひきこもりは苦しい」という答えならば納得できるのでしょうか。


となりの講師、ご自身の子どもがかつて引きこもりで現在は支援をする立場、はフォローで


苦しんでいるのは親の方で、本人は普通に生きていることが多い


と話します。

親が思っているほど本人は苦しんでいるわけではない、むしろ“親の苦しみ”が本人に影響してしまっている

ということでしょうか。


さらに、

(居心地がよかったのは)親が本人の「ひきこもり」を受けて止めていた状況があったからではないか

と付け加えます。




どんな言葉をかけてほしいのか


次にこんな質問がありました。

ひきこもっている子どもにどんな言葉をかけたらいいのか?

当事者の答え



居心地がいいからひきこもっているわけですから、言葉をかける必要はないんじゃないかな




です。


子どもは苦しんでいるに違いない

と思えば親は

何かしなければいけない

と考えてしまいますが、子どもはそんなことまったく望んでいない、ということでしょうか。




存在論的ひきこもりとは?


ここまでの記事の雰囲気で

存在論的ひきこもり

とは何か?

ということを感じていただけたのではないかと思いますがいかがでしょうか?


つまり、「ひきこもり」を何かの治療対象としてみるのではなく、「存在」として、

今はどういう状況にあるのか

ということを本人に寄り添いながら一緒に考えていく

そんなプロセスではないかと思います。


治療対象と考えると、

親はどうすればいいか?何をすればいいか?

と四六時中考えてしまいそうですが、

そういう存在

と認めてしまえば、特別何かをしなければならないことはない

ということです。

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