やっぱりさとりは身の回りにある②夢や希望もない暮らし
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やっぱりさとりは身の回りにある
あるテレビ番組でMCを務めるタモリさんのこんな一言がありました。
「私は、夢を語る人間は信用しないんですよね」
それはメジャーリーガー大谷翔平さんの特集で、他の主な出演者は王貞治さん、栗山英樹さんでした。
タモリさんの、控えめでありながら存在感のある一言。ほんの一瞬時間をとめるつぶやき。女性アナウンサーは「ふふ」と笑うしかありません。それを自分の側に引き寄せて言葉にすると、小林正観さんを踏襲して「夢は持たなくてもいい」「夢も希望もない暮らし」となるでしょうか。
「小林正観さんからこう聞いた」で書いたように、私は警察官一年目で失踪事件を起こしました。その失踪した一ヶ月間は、まさに夢も希望もありませんでした。私はそのときに「夢も希望もない暮らし」を経験したと言い変えることもできます。そして、その経験から言えることは、夢や希望がなくても人生は展開する、ということです。失踪した日の翌日の朝、私は京都駅の地下街の喫茶店で下を向いて悩んで、というよりは何も考えることができなくなっていました。
しかし、それでも体は動きました。京都から滋賀に移動、そこから静岡、横浜、東京、そして北海道。北海道では手持ちのお金がなくなりました。すると、親切なおばあちゃんが家に泊めてくれて、お金を貸してくれました。富士の樹海で死のうと思ったのですが死ねませんでした。そして無一文になった私は東京に向かって歩きました。八王子で、残高がゼロのはずの銀行に3万円が振り込まれていることに気がつきました。親が振り込んでくれたんだ、と思った瞬間私は観念して、ついに警察に出頭しました。
「警察に出頭しようと思ったのは希望を持ったからではないのか」という風にも読めますが、私が観念するようにそこまで連れてこられたというのが実感です。絶望して親切にされて、それでも逃げて助けられて。私の心が“ほどける”にはそこまでの出来事が必要だったということです。
いかがでしょうか。自分の人生を振り返ったとき、本当にそれは夢と希望を持って、それに従って展開された人生と言えるでしょうか。それとも私のように「ここまで連れてこられたのだな」と思えるでしょうか。
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