おかげさまを意識すると人生が面白くなる⑲影響


私の家の前はゴミが捨てられやすい場所のようで、お菓子紙袋やタバコの吸い殻や空缶やペットボトルがよく捨てられます。それらのゴミを私は自分の実践として淡々と拾うようにしてきました。淡々とやるのがポイントで、文句を言いながらやらないほうがいいのです。さて、最近になって「あまり、というかほとんど捨てられなくなったなあ」という印象を持っています。これは偶然ではなく、どうもそのようになっているようなのです。




正観さんの会社SKPは横浜の駅前にあります。私が働いていた当時は、まだ喫煙の制限もなく駅から会社までの道にはタバコの吸い殻やゴミがよく捨てられていました。その全てをというわけにはいきませんでしたが、私は仕事が終わると会社の周りのゴミ拾いをしました。それでも買い物袋にして二袋分の量はいつもありました。特に周囲から見えづらい場所があり、そこは歩道でしたが、距離にして10メートルほどのスペースには毎日ゴミが捨てられていました。私がゴミ拾いを始めて一年以上が経って、ゴミがあまり捨てられなくなっていることに気が付きました。その後、私はSKPを辞めましたが、茶話会などでSKPを訪ねるたびにその歩道にも立ち寄ることにしています。最後に行ったのが4年前で、辞めてから6年ほど経過していましたが、それでもゴミは捨てられていませんでした。




改めて言いますが、文句を言いながらやらない方がいいというのがポイントです。楽しみながらとは言いません。私もその境地ではありません。淡々とやり続けると、目に見える存在も見えない存在も含め、動いてくださるようです。




ここからは私の哲学的な思索ですので読み飛ばしてもらってかまいません。影響という言葉を調べてみました。「物の形が変われば影の形も変わる。音が変われば響きも変わる」という意味だそうです。「影」という言葉から光の話が出てくるかと思い調べたのですがそういう話はありませんでした。さて、影を生み出すのは光です。私は高校のときに写真部に所属していました。当時はまだデジタルカメラというものは世に出ておらず、写真部では現像から焼くまで自分たちで行い白黒写真を仕上げていました。学園祭のために撮った写真で「光と影」と名付けた写真があります。城山公園を自転車で走る子どもを撮った写真ですが、木々の間から差し込む光が印象的だったのでそう名付けました。その写真が成り立つには光と影の両方が必要です。どちらが強すぎても絵になりません。




私がこれまで求めてきた実践、「ありがとう」や「幸せ」などの肯定的な言葉、トイレ掃除やゴミ拾いなどの実践を光とするならば、怒りや愚痴、ゴミを捨てたりという行為は影なのかもしれません。私個人を考えたときに、その光の実践を続けてきたのだから光の存在になっているかというとそうではないようです。私は虫もできるだけ殺さないようにしていますが、動物の肉も魚も好きで食べているので「私は殺していない」と堂々と言えるものではありません。お菓子やパンが大好きなのでそれを包装するゴミもたくさん出しています。道端には捨てていませんが、結局、ゴミの日に出したゴミもどこかに捨てられるのですから、そんなに違わないように思えてきます。




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