おかげさまを意識すると人生が面白くなる⑧悟りは二人


これはあるスピリチュアルの本に書いてあったことです。それが正しいか間違っているかの判断は置いておいて、私にとってはとても興味深い話でした。「生まれ変わりが存在する」というのは、正観さんが唯物的に現象を見つめてきて確信にいたった事柄のひとつですが、釈迦とイエス・キリストは生まれ変わりを繰り返す中でお互いに友人であったというのです。釈迦は私にとってはスターのようなもので20年近く本を読んだりして“追っかけ”をしていますがこれは初めて聞いた話です。釈迦の生涯についてはいろいろな本で学ぶことができますが、そこにも後にイエスとして生まれる存在があったそうです。私はすぐに「アーナンダ」だと思いました。それは、正観さんが「釈迦にとってアーナンダは弟子ではなく友人だった。釈迦もアーナンダの一言一言から学んでいたのではないか」という話をしていたからです。ところが、違いました。アーナンダではなくラーフラだというのです。釈迦の息子です。釈迦はラーフラが生まれてすぐに出家しましたから子育てはしていません(そのスピリチュアルの本では、釈迦はラーフラが生まれる前に出家したので自分に子どもがいることを知らなかったということになっているのですが)。ただ、その後、親子で再開を果たし、ラーフラは釈迦の十代弟子の一人になりました。




仏教の本を多く読んできましたが、ラーフラについてのエピソードが書いてあるかもしれない本が一冊あることを思い出しました。すぐに本棚に行って見つけました。それは、菅沼晃さんという東洋大学の学長までつとめた方の「ブッダとその弟子89の物語」(法臓館)という本です。ラーフラが出家をしたのは9歳のときだったそうです。最初は家柄の良さを周囲に自慢するような子どもだったのですが、シャーリープトラをはじめ、先輩たちの教えを素直に聞き実践し、誰からも愛されるような人間に成長しました。十大弟子になっときは「密行第一尊者」と称えられるようになりました。密行とはいわば陰徳、「誰も見ていないところでひたむきに行ずる」ということでしょうか。みんなで決めたことをひたむきに守る方がいますが、そういう方というのは本当に好感が持てます。ときに真面目が過ぎるな、と思うことがありますが。ラーフラにもそういうところがあったようで、あるとき「出家したものが戒律を受けていないものと一緒に寝てはいけない」というルールができました。そのとき、ラーフラはまだ戒律を受けていません。先輩たちにかわいがられていたラーフラはそれまで寝る場所に困ることはありませんでしたが、ラーフラは自らこのルールを守り、守るのはいいのですが寝る場所がなくトイレで寝ていたのでした。それを知った釈迦が、先輩弟子たちに「ラーフラがトイレで寝ていた。人を大切にしないで何のためのルールなのか」と諭したとのこと。




ここからは私の解釈ですが、ラーフラのこの行動から学んだのは釈迦自身ではなかったか、と思うのです。「戒律を作るとこういうことも起きてしまうのか。柔軟性を持たせたほうがいいな」というように。




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