小林正観さんからこう聞いた第二章⑤日常生活
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最終更新日:2021/06/14
小林正観さんからこう聞いた
「幸せとは特別なことが何も起きないこと」と正観さんの本に書いてあります。私は正観さんの運転手や付き人のような仕事をしていたので、正観さんが自分の部屋にいるとき以外の行動についてはそこそこ知っています。正観さんのご自宅まで迎えに行って講演会会場に向かう、講演会が終わり二次会で食事をしてホテルの部屋まで送る、次の日の午前中ホテルの部屋の前で待ち構えて次の講演会会場まで送る・・・そういうこともありました。何が言いたいかというと、正観さんは“修行”をしていないということです。部屋の中のことはわかりませんので完全に証明はできないのですが、正観さんは瞑想をしたり座禅を組んだり、そういう時間は設けていませんでした。第一章のところでも書きましたが、私は正観さんと初めて話をした光楽園での合宿で、「修行なんてやっているんですか?そんなことしなくていいんです。受け入れれば終わりですから」と、あきれたように言われてしまいました。そして、そのときの茶話会で、「私だって、悟るために何かをしなきゃいけないというのならやります。だけど、やらなくていいんです」とそのときの参加者に向かっておっしゃいました。
このような話を聞きました。悟りを得るために山へこもり修行をする修行者の話です。彼は修行のすえ、何にも捉われない平安の境地を手に入れました。つまり悟ったのです。彼は山を下りました。そのうち、彼は自分の中からわき起こってくる思いに気が付きました。それは性欲でした。しかし、彼は悟ったのですから、その情念を受け入れることができず、抑え込み生きるしかありませんでした。
家に帰ると夫婦関係がわるくつらい。職場には嫌な上司がおり、ノルマもありきつい。しかし、家庭も職場も離れて一人で歩きながら瞑想をすると平安な心を手に入れられる。これは私のことではありませんが、理解はできます。もし、修行というものがあるのなら、それは一人で瞑想をしている時間ではなく、その自分がつらく感じる家や職場にあるのではないか。そういう状況の中で平和な心でいられるかどうかを問われているのです。だったら、わざわざ修行の場を求めるのっておかしいですよね。日常生活にあるのですから。正観さんが言うように「受け入れるだけ」ということになります。
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