小林正観さんからこう聞いた第二章⑥ブログ

公開日: : 小林正観さんからこう聞いた


 SKPに入社して何ヶ月か経った頃の話です。私はブログを始め、SKPのホームページからのリンクも先輩社員にお願いしました。すると、正観さんから電話がかかってきて待ったがかかりました。ちょうどその日は、正観さんの講演会に参加する日だったので、私は会が始まる前に正観さんのところへ行って謝りました。そこで言われた事はこんな内容です。「くりようかんさんがそこで世の中や社会について意見や感想を書くと、小林がそう言ってるんだと思われます。あなたは小林正観の看板を背負っているということを自覚してください」。厳しく言われはしましたが、「あなたは小林正観の看板を背負っている」と言われたことでうれしい気持ちになったことを覚えています。正観さんは、厳しいことを相手に伝える必要があるときも、こういう言い方をすると相手が受け入れやすい、というツボを押さえているのではないか、ということが後々わかりました。これは、現在の私の仕事でとても参考になっている部分です。10代の後半の多感な時期にある子どもたちと関わることが多いのですが、ときに厳しいことを言わざるを得ないときも言い方にはすごく気を使っています。





 その後、私は正観さんから頼まれて、正観さんから教わったことをブログに書いている方々と連絡をとることがありました。それは書き方についてです。体験談を書くのはいい。つまり、自分は小林正観さんからこういう話を聞き、それでこういう実践をした、そしたらこうなった・・・という書き方ならばよしとされていました。ところが、これが正観さんの教えです、といった正観さんの講演会や本の内容紹介や解説にはNGを出されたのです。さてこれに関して、最近読んだ本から一文を引用します。「文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録ほか 芥川VS谷崎論争」(千葉俊二編 講談社)という本です。谷崎潤一郎が書いた箇所です。




先達正宗白鳥氏に会ったら、「君は来年から改造へ時評を書くのかね。時評を書くといろいろの人から議論を吹っ掛けられる、すると黙っている訳にも行かないので、つい応酬する、いやいやながら自然文壇に活躍をする形になって、うるさいもんだよ」と云って居られたが、成る程そうなったら大変だ。私なんかにはとても遣り切れたものではない。そこで私は成るべく当たり障りがないようにして行くが、万一誰かが喰ってかかっても相手になることは御免を蒙る。先輩であろうが後輩であろうが、此方の都合で一切黙殺することにするから、それは予め御諒承願いたい。




 私は20代のときに、ある仏教団体で活動をしていました。仏教には多くの仏典がありますが、仏教団体というのはその中のどれかひとつを聖典という位置づけにするものですが、私が所属する団体もそうでした。さらに、同じ仏典をかかげる団体同士でも、その解釈の違いが出てきます。すると、団体同士で論争が起こります。「どちらの仏典が正しいか、どの仏典がもっとも正しい釈迦の教えか」という方向に必ずと言っていいほど向かってしまうようです。正観さんが、いずれ自分のことがいろいろな人によって語られたり書かれたりするようになることを想定していたというのは言い過ぎと思われるかもしれませんが、私は決してそうは思いません。正観さんが、「意見や感想を言わない、書かない」と言い残したのは、つまり、自分自身(正観さん)のことで、意見が戦わせられたりすることを避けるためだと私は思っています。「自分がこういう話を正観さんから聞いて、本を読んで、こういう風に考え方を変えた、行動を変えた」というのは自分の体験談ですから、他人にとやかく言われることはありません。しかし、「これが正観さんの教えです」という紹介をしてしまうと、「それは違いますよ。それは正観さんの教えではありませんよ」という反論が出る可能性がある。それが争いのきっかけになってしまいます。




 ですから、意見や感想それ自体を言わない、書かないというよりも、「競わない、比べない、争わない」という実践のひとつとして私はこれを捉えています。それだけ気を付けていても、「くりようかんさん、それは違いますよ。正観さんがそのように言ったのは・・・」という反論は出てきてしまうものかもしれません。それについては、谷崎潤一郎のように「一切黙殺する」とまでは言いませんが、私は「なるほど、そうですね」と聞くだけにしておきます。







 

Sponsored Link

Message

メールアドレスが公開されることはありません。

福祉ではたらく1%の幸せな人々⑦苦しみとは思い通りにならないこと

「思い」を持つことはいいことだとされています。福祉という分野でも、思

福祉ではたらく1%の幸せな人々⑥反省しない

タモリさんは、かつて月曜日から金曜日まで「笑っていいとも」という生放

福祉ではたらく1%の幸せな人々⑤

20代後半の頃の私にとってのコペルニクス的転回、それは「自分が発する

福祉ではたらく1%の幸せな人々④

「感謝」について。ここで言う感謝とは、心の問題ではなく、口に出して「

福祉ではたらく1%の幸せな人々③

「働く」という言葉について学ぶことも幸せになる方法のひとつです。「幸

→もっと見る

  • Sponsored Link
PAGE TOP ↑