小林正観さんからこう聞いた第二章②運転

公開日: : 小林正観さんからこう聞いた


 私がSKPで働いていたときに知り合った方々にとって、正観さんの運転手というイメージが私にはあるのではないでしょうか。確かに、正観さんが講演会や合宿で関東を移動するときには、よく私が自宅まで迎えに行ったりしていました。もともと、正観さんから「運転手をしてください」と頼まれたわけではありません。なんとなく流れでそうなったのです。初めて正観さんを助手席に乗せて運転をしたのは、伊豆正観荘での合宿でのことだったと記憶しています。その合宿では、二日目の晩は近くの中華料理屋でみんなで食事をするのが恒例だったのですが、あるとき、タイミング的に、私が正観さんを乗せて車を走らせることになったのです。往復10分程度の距離でしたが、とても緊張したのを覚えています。実を言うと、私は正観さんを乗せて走るときは最後の最後まで緊張していたのでした。




 初めての長距離ドライブは、ハワイ旅行の帰りです。私は参加しませんでしたが、成田空港まで正観さんを迎えに行きご自宅まで送り届けました。正観さんは運転がとても上手でいろいろ教えていただきました。ポイントをいくつかあげておきます。




・乗車しているときは鍵は開けたままにする-事故に遭ったときに施錠をしていたら車に閉じ込められてしまうからです




・オートマチック車の場合、アクセルは右足でブレーキは左足で踏む-事故に遭うか遭わないかはコンマ何秒の差です。ですから、常に足はブレーキに置いておくのです。




・送りハンドルではなくクロスハンドル-これは説明が難しいので、私が運転する車に乗る機会があればお伝えします。




・踏切で先頭で停車するときは、前に車一台分のスペースを空けておく-後ろから追突されたときに線路に進入しないですみます




・高速の渋滞で停車、もしくは徐行するときは、前の車から一台分スペースを空ける-これも追突されたときに回避できるようにするためです。玉突き事故を避けることができます。




「譲り合いが大切」。特に正観さんの話に興味を持つような方は、運転でも「お先にどうぞ」と譲ることが多いかもしれません。しかし、たとえば、こちらが外車に乗っている場合(正観さんはベンツやBMWの中古を20万~30万円で購入してそれを修理して乗ったり、友人にもすすめていました。ですから正観さんの周囲には、ベンツやBMWに乗っている方が多いのです)、相手は気後れをしてしまう可能性があるので、譲るのではなくこちらが先に行ってあげるのが優しさになります。「思いやりは想像力がいる」が正観さんの教えです。私は、現在、運転をしていてかち合ったときは(車は持っていないので運転をするときはレンタカーです)、相手の表情を見て「いくぞ」という雰囲気を感じたら譲るし、そうでないときは譲らずにこちらが先に行くようにしています。




 私は最初、大きな勘違いをしていました。正観さんが本に書いたり講演会で話をしていた「どうでもいい」「こだわらない」という印象から、運転なども適当というのか、あまり細かい(正観さんすいません)指示はないものと思っていたのです。他の仕事でもそうですが、正観さんはやることひとつひとつにきちんと根拠があり、そしてそれらは抽象度をあげたときに正観さんが説く宇宙法則や見方道につながるものなのです。運転に関して言えば、自分が運転する車に乗ってくださる方々を大切にする「喜ばれる運転の仕方」とでも言うべきものでしょうか。ただ、中には正観さんの運転の指示についていけず、「正観さんの運転手はやりたくない」と思った方もいると耳にしています。私は幸い一度もそんなことを思ったことはありません。それは、私が、運転を通して正観さんから生き方を学んでいるという実感を持つことができていたからでしょう。




 こうして私はいつのまにか正観さんの運転手のような立場になっていました。東京で正観さんの講演会を主催していた方に、「東京はくりようかんさんが一番道を知っているから正観さんの送迎をお願いしたい」と頼まれ誇らしい気持ちになったこともあります。私の地元は島根県。運転免許はそこで取りましたが、高速道路がないために高速教習ができないという土地です。そんな私が東京の方からみて、東京の道について詳しいと思われたのは大変嬉しいことだったのです。




 さて、正観さんの運転手をやるという事は正観さんと二人きりになる時間が多かったという事でもあります。どんな話をしていたのか、と聞かれることがあります。やはり何かそこで特別な話をしていたんじゃないかというイメージがあるようです。ただ残念ながらそういった事はありません。宇宙法則の話などは、正観さんが講演会や合宿でしていた話のとおりで、身近な人にだけ特別な話をしていたということはないというのが私の印象です。如来や観音、仏像はすべて手を開いています。私が知らないだけかもしれませんが、グーを握っている仏像はありません。あれは「すべてを明かしている」という意味だそうです。それと同じように正観さんもすべてを明かしていたのです。




 

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