中学数学「逆」って面白い

公開日: : 楽問(がくもん)のすすめ


久しぶりに野球以外の記事を書きます。中学2年生の数学にこんな問題があります。




問.次の文章の逆を書き正しいか正しくないか答えなさい




三角形ABCと三角形DEFが合同ならば、∠A=∠Dかつ∠B=∠Eかつ∠C=∠Fである




「かつ」という言葉は中学2年生では出てこないかもしれませんが・・・。







∠A=∠Dかつ∠B=∠Eかつ∠C=∠Fならば、三角形ABCと三角形DEFは合同である 正しくない




私は、子供に教えるときはついでに「反例」をあげてもらいます。この問題については、「角はすべて等しいが辺の長さが違う三角形」が反例となります。




さて、私が子供に伝えるポイントは次の2点です。




1、逆は必ずしも正しくない




2、正しいことを証明することは難しいが、正しくないことを証明することは簡単(反例をひとつあげればいい)




なぜ私がこれを必ず伝えるかというと、大人でもここのところがあやふやな人が多いからです。




児童福祉職員としてひとつ例をあげましょう。




親から虐待を受けた子供は、自分が親になったときに子供に虐待する




実社会における命題は数学世界における命題ほど厳密ではありませんが、これが「正しくない」ことを言うことは簡単です。「親から虐待は受けたが、自分の子供には虐待していない」という人物がひとりいればいいからです。




これが「正しくないことを証明することは簡単」という例です。




といっても、実際には上の命題は「正しい」とされています。では、その逆は




子供に虐待をしている人物は、子供のときに自分も親から虐待された




これも「正しくない」ことは簡単に言えます。そうではない人がひとりいればいいからです。これが「逆は必ずしも成り立たない」例であり、「正しくないことを証明することは簡単」という例でもあります。




これだけ簡単な話にも関わらず、現場ではこれらは、正しい、とされています。どういうことでしょうか?




ここには「慮(おもんばか)る心」があるのです。




ネグレクト、と言われる心理的虐待も考えると、虐待の定義は恐ろしく広いものとなります。すべての親が何かしら当てはまってしまうのではないかと思うほどです。そんなときに、「ダメな親」だとか悪だとかレッテルを貼って断罪するのではなくて、抽象度を上げてみることにより「虐待の連鎖」と考えて、本人の気持ちを軽くしようとしているわけです。




この「慮る心」により、私は最初にあげた命題「親から虐待を受けた子供は、自分が親になったときに子供に虐待する」は「正しくない」と主張したいわけです。実際に証明もしましたし。




なぜか?ここからがこの記事の言いたいことですが、目の前に虐待を受けた人物がいるときに、「この人も自分の子供を虐待するだろう」という考え方をする人がいるからです。実際に、児童福祉の世界では虐待を受けた子供に多く出会いますが、「虐待を受けてきたのだから何も起きないわけはない。この子は何かしでかすだろう」という発言をするような職員は少なからずいます。




その発言が間違っていることはこの記事で証明しました。

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