“今”を生きるとなぜ楽しくて成長できるのか?
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最終更新日:2017/01/28
コラム
力いっぱい今を生きる
小学校のとき、黒板の隅にいつもこんなことが書いてありました。担任のN先生が好きな言葉だったらしく、私たち生徒の間に浸透させたかったのか常に目に入るところに書いていたのですね。
あれから30年くらい経過して私が実践していることはまさにこれなんですね。「力いっぱい」は余計で
今を生きる
という部分なんですが。何も先生が黒板に書いたこの言葉をみて“目覚めた”というわけではありません。いろいろと勉強をしてきた結果ここに行きついたわけです。
まあ、「念」という文字が「今の心」を表していたりと、かなり古くからこのことは言われてきたのですが、「今を生きることができています」と言える方はそうそういないのではないでしょうか。
この生き方が完璧にできる人が「ブッダ」なのかな?と思えるくらいのことなので、それはなかなか大変な実践なのです。
「今を生きる」ということを経験してみたければ
呼吸(息を吸って吐く)
もしくは
歩く(右足を上げて下し左足を・・・)
に意識を集中してみてください。やってみると、おそらく1分もしないうちにまったく別のことを考えていることと思います。たとえば、子どもの面倒を見ながらこれをやろうとしてもすぐに子どもに振り回されイライラし、「はあ、私には自由がないのか、なんで私ばかりがこんな大変な・・・」という思いや嫌な感じがわき起こってくる。もしくはスーパーのレジで「今を生きる」という実践をすると、前のお客がやけに時間がかかるというところに意識がいきやはりイライラしてしまう。
「今を生きる」ということを妨げるこのような“思い”みたいなもの、これが私たちがなんとなく苦しい原因なんですね。
「苦しいなら思わなければいい」と言われても“思ってしまう”のですね。なぜか?私たちは「私はこんな人間である」というイメージで生きており、それを手放すのが大変なのです。
逆に言えば、それを手放すための「今を生きる」という実践なのですね。今を生きる人たちが天才的な知恵を発揮するのはわかりますね。「私はこんな人間である」や「これはこうである」というイメージから解放されているので柔軟な発想ができるのです。
アップル社の創業者であるスティーブ・ジョブズが「禅」の実践者であったことは有名な話です。ジョブズの“ひらめき”はそんなところから出てきていたのでしょうか。
その実践を続けると、やがて「これが私だ」と言えるような「私」は存在しないことに気が付きます。だったら苦しみから解放されるのは当たり前ですよね。「私」が存在しなければ「苦しむ私」もいないのですから。
最後まで読んでくださりありがとうございます。