子どもとの関係におけるタテマエとホンネさらに本心について
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コラム
子どもと関わる仕事をしています。
ある出来事がきっかけで、私は「タテマエ」や「ホンネ」について考えるようになりました。
施設で関わるある子ども。その子は、定期的にカウンセラーのもとでカウンセリングを受けています。
あるとき、
私の存在が彼女にとってつらいもののようだ
という指摘を受けました。
私はどちらかといえば無口な方なので、あまり喋らない私に対して彼女が緊張感を感じてしまっている
そんな話でした。
まあそれ自体は私が気を付けることで何とかなっていますが、そこで私が思ったのが、
カウンセラーに彼女が話したのが“ホンネ”
そのように私も周囲も疑問を持つことなく受け取ってしまっているということです。
つまり、
施設の職員には“タテマエ”
カウンセラーには“ホンネ”
ということだろうか?もしそうだとしたら、数回程度会うだけのカウンセラーに話せてしまう「ホンネ」って何?
そこで調べてみたわけです。
ホンネと本心は違う
参考文献は「養育事典」(明石書店)です。
そこに出てくるキーワードは
タテマエとホンネ
本心とうわべ
です。
これらが別のものとして語られています。
タテマエは上下関係の世界
まず、タテマエとホンネは
上下関係
の中において登場します。
私は中学生のときに野球部に所属していましたが、監督がすぐにビンタをするような人でした。
あたり前ですが、それを「いい」と思っていた生徒は少なくとも私の周囲にはいませんでした。
先生が“いないときに”みんなで「悪口」を言っていたわけです。
誰も先生に直接言うことはできませんでした。というより、むしろ普段は先生と仲良く話をしているくらいです。だから先生も「問題なし」と思っていたのでしょうが。
意識していたわけではありません。でも、思い返してみると、実に巧みに「タテマエ」と「ホンネ」を使いわけているわけです。
たとえタメグチをきいているようにみえても、子どもは両者の間に確実に一線を引いて、構えているのだ。このことに鈍感であってはならない
と「養育事典」では子どもと関わる大人に警告しています。
本心はホンネの外側にある
「養育事典」では、
あるがままの心の状態
を「本心」と定義しています。「ホンネ」ではありません。
そしてそれが
家庭
という“場所”であると言っているのです。
「タテマエ」と「ホンネ」を考えなければいけない時点で子どもにとっては緊張感を強いられる世界です。
「本心」が周囲に受けとめられる場所、私のいる施設も
家庭的であること
を目指している以上、ここのところは頭にいれておかなければいけないかもしれません。
ここの時点で、彼女との関係における私の答えはある程度でました。
ホンネかタテマエか
を気にする必要はないのです。
それも含めた丸ごとの彼女を“受け入れる”だけでいいわけです。
「いい子」は「うわべ」!?
ここまでで私の疑問は晴れたのですが、「本心」の対極にある「うわべ」についても本書では述べられています。
「うわべ」とは、家庭や施設において子どもが「本心」を認めてもらえないときに表出してしまうもので、それが一般的に
いい子
として通用している子どもです。もちろん子どもが「本心」のままに行動した結果が親や施設職員にとって「いい子」である場合はあるでしょう。
ここで言っているのは、家庭や施設で「本心」を出すことができなくなってしまった子どものことです。
先日こんなことがありました。
5歳になる娘と一緒に買い物に行ったときのこと。
道路を横断しようとしていたときです。娘は自分で渡りたいので、私が先導するのは気に入りません。そういう時期です。
あまり車が来ないその道も慣れない娘にとってはなかなか渡ることはできませんから、結局、渡るのに30分くらいかかってしまいました。
15分くらい経過したところで私はややイライラし始めてしまいましたが、まてよ
これは彼女の「本心」の表出ではないか
と考え、起こってしまったイライラと葛藤していたのです。
私がシビレを切らして彼女を怒鳴りつけ無理やり渡らせてしまったらこれから先は彼女は自分の「本心」ではなく、私の顔色をうかがうようになるかもしれません。
ここのところは子育てにおいて大変なところだと思いますが、親にとっては
自分の心次第(私が待つことができるかイライラするか)
ですから、考え方によっては“簡単”なのです。