辛抱強く見守りながらの子育てで自己肯定感が育ったかな?

公開日: : コラム

最初の子がまだ本の赤ちゃんだった時の話



足成り赤ちゃん


私は世間と離れてすっぽり自分と我が子という存在がだけがこの世に存在し、まるで良くも悪くもカプセルの中に入ってしまったような感覚に何度か陥ったことがあります。

自分のいつも近くにいる相手は意思疎通の出来ない赤ちゃん、夫がいない間は私だけが頼りです。
瞬間瞬間が自分の手に委ねられていると。赤ちゃんに意識が常に向いていて、世間とすっぽりと切り離されたような感覚です。

それは雑音が入らないため居心地がよくもあり、心もとない感じもしました。その時自分自身に頼る人近くにおらず、夫が帰るまではずっと2人きりだったという環境がそう思わせたのかもしれません。


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保育園に行きだすと




しかし子供が段々と成長し、意思の疎通が出来て保育園に行く頃になると、そういった感覚は徐々に失われ、我が子は世間というものに船に乗ってこぎ出したという感覚になりました。

すでにそこには小さくてもひとりの個人がそこに存在していました。他者との出会いが訪れたのです。

そこで私たち夫婦は躾というものを初めて真剣に考えました。伸び伸びと育ってほしいので基本は子供の意見は尊重する事、間違った事をしたらしっかりと叱る、またフォローのうえで出来たことを褒めてあげるというのを実行しました。




うちの子はうちの子



足成子供ふたり


また園に通うようになると、その友達関係などから自分の子の性格を知るという事も多くなりました。
おのずと他人の子どもという存在が自分の子を判断する目安になるのです。

その時に私達夫婦が陥らないようにしていたのは、あくまでも他人の子は他人、うちの子はうちの子という事です。
うちの子はどちらかというと引っ込み思案の子だったので、他の一見元気ではきはきしている子を見ると、うちの子もあのぐらい物おじしないで人前で行動できればいいなと思ってしまった事もあります。

しかし言葉に出してしまうと、そういう親の子への要求は幼い子供に伝わり子供を委縮させる原因です。ですので、我が子が引っ込み思案になってしまった時は、なるべく優しく声掛けをするという事を貫きました。

そうやって常に辛抱強く接していたのもあり、自分は守られているという自身に対する肯定感が生まれたのか、大人しいながらも、自分をしっかり持っている子に育ってくれたように思います。


ブログに使用した画像の出典は写真素材足成です。

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