教育家族とは?子どもの“できるできない”に一喜一憂していませんか
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最終更新日:2016/12/30
コラム
こんにちは、編集者のくりようかんです。
かつて「教育ママ」という言葉がありましたが、ここでは、「教育家族」という言葉について説明します。
参考文献は「母という暴力」(芹沢俊介著 春秋社)です。
「教育家族」の定義は、
「わが子の教育にしか関心をいだかなくなった家族のあり方」
です。
簡単にいうと、
いい成績→いい学校→いい会社
という考えをベースにした子育てです。
とうの昔に、「いい学校→いい会社」は保証されなくなってきています。
それでも受験熱は冷めないし、“子どもは教育の対象”とする捉え方も残っています。
「教育家族」であることに気が付いていない教育家族
「うちは教育家族です」と宣言するような家族はまずないと思います。
それを自覚することができるとすれば、子どものことで一喜一憂している場合です。
一喜一憂=教育家族
というわけではありませんが、「教育家族」という方向にいっている場合にそうなりがち、ということです。
我が家の場合を例にあげます。うちの4歳の娘はまだおむつがとれていません。それなりにトイレトレーニングはやってきましたが、うちの夫婦はそれほど“熱心”ではないのです。
先日、「トイレ!」と言って、子どもが自分でトイレに駆け込みました。そして用を足しました。自分でも「できたよ」と喜んでいたようです。
次の日、また「トイレ!」と言って、トイレに行くのかと思いきや、お風呂に行きました。娘はお風呂ですることもあるのです。
ここで、「このあいだはトイレでできたのになんで?」と私は言いそうになりましたが飲み込みました。それが「教育家族」です。といってもこの程度では“芽”にすぎないので言ったとしても問題はないのでしょうが。
“できる”と“できない”の間に“線引き”がなされてしまうのです。
「できたらいいな、できなくてもいいけど」
くらいの“余裕”があるうちは「教育家族」ではないと思いますが、「できなければならない」と“こだわり”になったとき、一喜一憂も激しくなっているだろうし、子どもにもつらく当たるようになってしまいます。
そして、「どうやったらできるように」と第三者に相談に行く、というパターンでしょうか。
私は、そうならないように、“芽”のうちに摘んでいるのです(私の心の中の芽です)。
確かに、そのためにオムツがとれるのが他の子どもよりも遅い、ということはあるかもしれません。でも、20歳までオムツをはいているわけではあるまいし、とそんなときは考えたりしますね。
私も“参加”している本の紹介です。小林正観さんという作家、かつて私がお世話になっていた方ですが、生涯で60冊くらいの本をお書きになりました。たとえばコチラです。
http://www.diamond.co.jp/book/9784478061879.html
すでに故人ですが、私を含め正観さんから学んできた人々が原稿を持ち寄って本が出版されています。出版コードを取得している出版社からの出版ではありませんが、数千部は発行されていると思われます。2017年1月には第三弾が発売予定。
内容は、それぞれの人が正観さんから教わった内容です。私にとっては社長でもあった方で、仕事のことを切り口に生き方などを教わりました。そんな内容が、私で8ページくらい、掲載されています。