小林正観さんからこう聞いた第一章⑥樹海
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小林正観さんからこう聞いた
さて、富良野のおばあちゃんの家から旅立った私は東京へ行きました。パチンコをしてお酒を飲んで夜はカプセルホテルに泊まる・・・そんな生活を3週間くらい続けて貯金もほとんど底をつきました。そのとき私の頭に浮かんできたのは富士山です。史実ではありませんが、画家の山下清さんが死に場所として富士山を選んだという、ドラマかなにかでみた光景を思い出しました。
地図で調べ、適当な駅で下車し、そこから富士山を登り始めました。車道を登り続けたわけです。今、グーグルマップで検索してみると、およそ20キロくらい歩いたようです。記憶では朝から夕方まで歩き富士の樹海、青木ヶ原の入り口に辿りつきました。決してそこを目指していたわけではありません。ただ、死に場所を探してそこに着いたことに、何か導きめいたものを感じました。青木ヶ原は観光スポットでもあり、散策コースがあります。私はそこから樹海に入って行きました。冬のことですから、雪が膝くらいまで積もっていました。散策コースから外れ、私は奥へ奥へと行きました。そして体力が尽きたところで腰をおろし目を閉じました。「このまま寒さで死ぬのか・・・」と観念しました。その時点では死ぬことにはまったく恐怖を感じませんでした。むしろ、なかなか眠れず、寒さがとても厳しく感じました。ようやく、私は眠りについたのですが、朝、目が覚めました。
茶話会ではここでちょっと笑いが起きました。決して笑いをとろうと思ったわけではないのですが、笑ってもらったことでほっとしたことを覚えています。真冬の富士山で凍死をしなかったことについては、正観さんから「体が強かった」ということと、無風だったので「運がよかった」と言われました。「そこで仕事霊が入れかわった」と言う方もいましたが。
さて、死ぬことができなかった私は東京を目指して歩き始めました。お腹が空いていたからです。なんとなく、東京に行けば食べ物にありつける、そんな感覚でした。富士の樹海から八王子まで歩き(グーグルマップで調べてみると60キロくらいです)、私は力尽きました。駅の階段に座り途方にくれていると、私の頭に「預金残高を確認する」ということが浮かんできました。残高は0のはずですから意味はないのですが、ATMにキャッシュカードを入れ確認しました。すると、残高が3万円ありました。「親が入れてくれたんだ」とすぐにわかりました。その瞬間、私は観念しました。「帰ろう」と思ったのです。これが、私が光楽園の茶話会で話した内容です。
さて、茶話会の最終日。私は正観さんから「私の会社で働きませんか?」と言われ「はい」と即答しました。茶話会の場は万来の拍手に包まれました。当時の私はフリーターで、自分の将来について不安を感じていたこともありましたし、何より正観さんのもとで働くことができるということで、体中の血液が沸騰したようなそんな喜びを感じました。私にとって忘れらない一日になったわけです。
正観さんは、私を雇う気になった理由として、この話、つまり富士の樹海の話が面白かったから、とよく言っていました。それは私は方便だったと今では思っています。つまり、富士の樹海で自殺を試みた経験をしてその話が面白かったから雇った、という因果関係を構築することで、私にとって富士の樹海での経験が幸せなものになる、そう私に思わせる意図があったのではないか。これはご本人に確かめたわけではないのでわかりません。もうひとつ、二人で話をしているときに正観さんは真面目な面持ちでこのようなことを言いました。「くりようかんさんが、もし『親に聞いてみます』と言ったら私は雇うことはしなかった、『はい』と即答したから雇った」と。これは、正観さんの考える対等な親子関係、夫婦関係もそうですが、そこに関わってくる話です。別のところで述べます。
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