気と野球3 人格が磨かれる

公開日: : 最終更新日:2019/07/10 気と野球


自分だったら動揺して責任回避をしてしまうことにまるで平気で何でも引き受けて淡々とこなす人、そういう人を「すごいなあ」と私は尊敬して自分もそうなりたいと思ってきました。ここではそれを人格磨きと捉えることとします。これまで、落差を利用して気を出す、ということを言ってきました。それは日常生活のどこにでもあることで、つまり人格磨きのチャンスはいつもある、ということです。いろいろな例をあげていきます。




イップス




私は中学の時にイップスになった記憶があるので、キャッチボールのときに「暴投しないか」と恐怖が走ることがあります。この恐怖を利用しますが、次のように考えます。イップス<野球ができる<体が動く<感謝。なんでもいいのですが、このように落差を作ることで気を出します。私はこれを続けているうちに恐怖がうすれてきました。そこのところの理由はわかりませんがそうなるようです。それまで恐怖に感じていたことが淡々とできるようになる、これが人格が磨かれた、成長したということではないでしょうか。ただ、逆にいうと、それは気を出すことにもはや利用できないということになります。




お見舞い




先ほどまで私は入院中の友人のお見舞いに行ってきました。やはり友人は病気、つまり気の病にあるわけです。そこに同調するだけではこちらの気も弱くなってしまうので、そこに私の場合は仏教の空という概念を利用します。その結果、私はお見舞いに行くと元気になります。友人も元気になるということをもちろん望んでおり、実際に少しずつですが元気になっています。ただ、「私のおかげ」ということはできませんので、そこのところはわかりません。




愚痴を言い続ける人




他人の愚痴を聞き続けて疲れてしまった、そういう経験はありませんか。愚痴は聞き流しているつもりでも同調してしまうもので、そうすると自分の気が相手に流れてしまうので、自分は疲れて相手は元気になるわけです。これは、私の場合ですが、たとえば親鸞の絶対他力で、愚痴をこぼしている相手もそれを聞いている私も他力である、と思うことで落差を作ります。他力ということは生かされている、ということ。そこに感謝が生まれます。




勝敗




私の草野球レベルで勝敗にこだわるということはありませんが、そこに自分の生活や将来がかかっている方などは「負けたらどうしよう」というプレッシャーにさいなまれることでしょう。これに関しては私は経験上言えないので、そういう立場にある方は実践をして、ぜひコメントをいただきたいと思います。

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