子育てに役立つお釈迦さまの言葉 人格者であるほうが得⁉
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最終更新日:2017/01/28
コラム
超訳 ブッダの言葉(小池龍之介 DISCOVERY)
私は、むかし勤めていた会社の社長にこんなことを言われたことがあります。
結婚をし、さらに子どもができると人格者にならざるをえない
どういう意味でしょうか?
私は、20代前半のころから仏教(釈迦)に興味を持ち、すでに15年以上ほぼ独学で学んでいます。そういったジャンルの本を読んだりして勉強をしていると、
人格者を目指す
ことがいつのまにか目標となります。あたりまえで、学べば学ぶほど人格的に後退するならば誰も最初から勉強なんてしません。ところが、この社長は「人格者になることを目標にはしない」という方でした。そうとうな人格者でしたが。
では何を基準にするか?「損得勘定」です。「人格」についていうと、自分にとって得ならば磨けばいいし、そう思わないならば磨かなければいい、そのような立場です。
上の言葉も、そのような立場から出てきたものです。
ここでは、「人格者ではない」ということを「ちょっとしたことでイライラし、怒り、周囲に当たり散らす」というように定義します。「人格者」はその逆です。
親である私が「人格者ではない」人であったらどうなるでしょうか。すぐにイライラして子どもに当たる、すぐ怒る。すると、さいあく“虐待”を引き起こすかもしれません。
つまり、私にとって損なのです。自分にとって損なことならばやめることができそうです。独身時代は、家に帰れば一人なので、テレビ相手にイライラしていても特に損だとは感じません。ところが、自分が妻や子供相手にイライラして、“帰りたくない家”にしてしまっては、結局、自分が損なのです。
私が糧にしている釈迦の言葉です。
一八一 苦しみの元凶についての聖なる真理
君よ、苦しみの元凶は、
生存本能に命令されて
頭の中で快感の脳内麻薬を発射しようとしつづける、
渇愛という呪い。
「〇〇な自分になりたいよ」とアイデンティティという幻覚を求め、
「△△な自分なんていやだよ」と自分を否定して暴れるたびに、
脳内麻薬がビュンビュン発射されて
君を中毒化させてゆく。
長部経典『大念処経』
一八二 苦しみを消す聖なる真理
胸にぱっくり開いた、欠乏感のブラックホール、
すなわち渇愛を、
すみからすみまで消滅させると同時に、
苦しみはパッと消滅する。
長部経典『大念処経』