しつけとは何か?を考える “昔”は体罰はなかった!?

公開日: : コラム

 編集者のくりようかんです。 

 4歳の娘と色塗りをして遊んでいる時に、とつぜん娘が色鉛筆を“正しく”持ち、「こうもつんでしょ」と誇らしげに私に見せてきました。
 確かに、それより四ヶ月前に持ち方を教えたことはありますが、その後は握って持ったりと定着しないようだったので、放っておきました。それが、突然、自分で“正しく”持ち始めたのです。

 私は、「しつけ」どころか、“子育てをしない子育て”を標榜しています。ただ、自分(私)の真似はするだろう、ということは念頭においています。

 娘は、近所で会う人と話をしていても「はい」と返事をし褒められたりしますが、それは当たり前といえば当たり前です。私が、娘に対して「はい」と返事をしているからです。
 娘に対しても基本的には「です」「ます」の丁寧語で話をしています。というか私は“誰に対しても”そうしているのです。

今回は、「養育事典」(芹沢俊介/菅原哲男/山口泰弘/野辺公一/箱崎幸恵 編 明石書店)を参考に「しつけ」について考えました。



しつけとは何か?


足成浜辺
出典 写真素材足成


 先日、“ある学校”の隣にある公園で娘と遊んでいました。下校時刻だったらしく、子どもたちは学校のバスに乗ったり車に乗ったりしていました。“先生”と手をつないで車までやってくる子どももいました。

 ある子どもが車に乗ることを拒みました。すると、“先生”は、つないでいた手を引っ張り「乗りなさい」みたいなことを大声でその子どもに言ったのです。
 つないでいた手を引っ張ったり押したりしたのが私には“たたいた”ように見えたのですが、それは見間違えかもしれません。

 とにかく私は驚き、悲しい気持ちになりました。

 とにかくその子どもは“先生”に従い、車に乗り込みました。

「しつけ」を定義することは簡単ではないと思いますが、「こういうものではないか」「こういうものではないだろう」という感覚で、いくつか例があげられています。

子どもに対して暴力を振るう親、生徒を体罰する教師が、「しつけ」を言い訳にするがそれは正当化

家業の練習でほめ、励ます

行儀作法を子どもに身につけさせる

矯(た)めて育てる(矯正)

ひどい目にあわせて思いしらせる


 最後の二つを考えると、子どもへの暴力や体罰の正当化も可能ということになってしまいますね。ただ、老人ホームでの職員による暴力とこれらの暴力は根底的には同じものだと思っています。そうなると「しつけ」を言い訳にするのには無理があります。

 二番目の「ほめとはげまし」は、「子どもは幼いころから、親やおとなのしていることを見よう見まねで同じように動作しようとする」(養育事典P233)が前提となっています。我が家の子育てはこれが一番近いと言えますね。

 興味深いのは、これが近世の農民の子育てを研究する中で出てきたこと、です。「昔は体罰があたりまえ」といいますが、さらに昔はそうではなかったかもしれません。

 ただ、付け加えておくと、その時代には、「子捨て」や「間引き」が行われていました。それらを免れ生き残った子どもです。どうして暴力が振れるだろうか、という感覚があったのかもしれません。

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