もし子どもが発達障害と診断されたら 教師や医者“先生”と対等になる知恵袋
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コラム
編集者のくりようかんです。
“発達障害をかかえる子どもや保護者への支援”
このような内容の講演会をききに行きました。聴衆は、すべて教育関係者です。小、中、高の先生がほとんどでした。
私は教育関係者ではありませんが、特別支援学校の“ボランティア”という建前で参加をしました。
子どもを持つ人ならば、この「発達障害」や「特別支援教育」という言葉とは無縁ではいられません。
現代は、この「発達障害」も「特別支援教育」の対象となります。
「発達障害」についてはここでは詳しくのべませんが、とつぜん教師から
あなたの子どもは発達障害です
と言われる可能性は誰にでもあります。
なんでうちの子が?普通なのに?
と親がパニックになる、
実際にそういう事例があると、この講演会でも指摘されています。
この記事は、“心がまえ”のために書きました。仮に教師からそのように言われたとしても、動ずることなく、あくまで教師や医者と対等に事を運ぶことができるように、早いうちから知っておいたらどうか、という主旨です。
我が家の娘は自分の考えで行動をする
もうすぐ5歳になるうちの娘は“集団行動”がとりあえずできないようです。
先日あるプールに行きました。プールの時間は、
12時~12時50分
1時~1時50分
というように、50分につき10分休む、と決まっています。
子どもたちは、受付をして50分泳ぐと終了の合図とともに外へ出て、また入りたい子どもは再び受付をします。
うちの娘は、終了の合図がなって他の子どもが外に出ても、ひとりだけ動こうとしません。ありがたかったのは、職員さんがそれについて何も言わなかったことです。
しばらく待ってから、
もう一度入りたい場合は、いったん外に出て、また受付をするんだよ
と私が言ったら、子どもは動きました。
受付をすませ、再びプールに入りました。15分くらいすると、
出たい
と子どもが言うので出ました。
他の子どもたちは周囲や時間に合わせて行動をすることができます。“時間がくるまで”泳ぎ、時間になって終了すると“みんなで”外にでます。これが
“集団行動”です。
この集団行動ができない子どもは、まず“発達障害”の疑いの目で見られます。
考えてみると、そもそも、医者がそのように診断をして初めて「発達障害」となるわけです。
私は病気をしたことがありませんが、それは医者に行かないからです。検査をすると何かしらの診断を受ける可能性はあります。
とにかく行かないうちは、病気はないのです。
では「発達障害」はどこにあるか?と言われると、何か“そんな空気”はあるのです。
私は自分の子どもの例をあげましたが、「発達障害」と言っているわけではありません。私のような素人が言っても意味がないのです。
現場の先生たちはどのようなことを学んでいるのか?
まず、その講師はある体験談を語りました。
その子どもは自閉症で、家で暴れることもあるそうです。何もやることがないとそれがストレスになり暴れるそうです。
その子はマクドナルドが好きです。母親は、
もしこの子がひとりでマクドナルドに買い物に行くことができれば
とその講師に相談。「やりましょう」となりました。
内容は省きますが、“うまくいった”そうです。
ここで私が思ったのは、
この話を聞いている、特に若い新任の教師たちは、
できないことができるようになることが支援だ
と受け取った可能性があるということです。
それがいいかわるいかはここでは問題にしていません。今後、私も含め、教師のみなさんと付き合うことになる方々は、彼らがどんな考えを根底にしているのかを知っておくのもいいのでは、という考えです。
保護者にどう理解してもらうかが問題
講師の方はこのような話をされました。
「あなたの子どもは発達障害です」と言っても、それを認めない親がいる。その講師をはじめみんなが「そうだ」と言っているのに、親だけが認めようとしない。
自分がその親の立場だったらどうでしょうか?
私がその話を聞いて考えたのが、たとえば100人が「発達障害」だと言っているとしても、最初にそれを指摘したのは“ひとり”です。
残りの99人は
言われてみたらそうですね
とその意見に共感する人
反対できないから賛成の人(そもそも「発達障害」の定義があいまいなため、「そうではない」ということを証明することはできません)
権威や上司の意見に従う人
などが大多数でしょう。
あくまで対等な立場でいるためには、100対1でも
自分を信じていい
場合はあるということです。
私がその立場なら、とりあえず、“最初にそれを指摘した人”とは話がしたいと思うでしょう。
親や子どもは教師の言うことを素直に聞くもの?
この「特別支援教育」の課題のひとつは、
小学校から中学校、中学校から高校、そして就職
というステージの“切れ目”で、支援が継続できない、ということです。
そこで考えられたのがある“手帳”です。その手帳には、子どもがどのような支援を受けてきたかが記入されています。管理をするのは親です。
すると、子どもが、たとえば中学校から高校に進学するときにその手帳を見せれば、その子がどのような支援を受けてきたかが高校はわかり、支援が継続される、というのがその手帳の意義です。
その手帳はある県で試験的に実施されましたが、あまり成果は出なかったようです。
うちは必要ありません
と断る親が多いからです。
その講師の方は指摘されます。
そのような“ソフト”が役に立つものであっても、それをどのように広めるか、が日本では弱い。
ですから、講師の方は、話を聞きにきている“先生”たちに、
どうやって親の理解をえるか
ということを問いかけているのです。
私は福祉の世界にいますが、
子どもの理解を求める
は
職員の考えを押し付ける
になりがちな場合が多い、ということを指摘しておきます。もちろん、これは私が子どもと関わる者のひとりとして気を付けなければならないポイントでもあります。