小林正観さんからこう聞いた序章
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最終更新日:2022/08/19
小林正観さんからこう聞いた
2007年から2011年まで、年齢で言うと28歳から32歳までの約3年半の間、私は小林正観さんのもとでお仕事をさせていただきました。正観さんがお亡くなりになったのは2011年10月。ですから、正観さんの晩年にお供をさせていただいたことになります。9月いっぱいで正観さんの会社を退職し、その2週間後に正観さんが亡くなられたという連絡を会社からいただきました。入退院を繰り返していたとはいえ、まだまだ何年も生きられるものと思っていたので驚きました。正観さんは「人生にはシナリオがありすべて決まっている。死ぬ日も決まっている」とおっしゃっていました。正観さんが亡くなられる日に合わせて、私も「お役御免」ということで正観さんの元を離れることが決まっていたのかもしれません。今はそう解釈しています。
正観さんの、特に晩年の3年半にその近くで学ばせていただいたことは今でも幸せに感じています。私はとにかく学ぶことが好きです。野球が好きなときはイチローさんや桑田さんのような一流のプレイヤーの言動から学びたくなります。空手をやっていたときは、フランスで空手を教えていた日本人の先生の家を訪ねたこともあります。この記事を書いている現在は将棋を趣味にしていますが、加藤一二三さんや羽生善治さんをはじめ、プロ棋士の方々の本を読んだり動画を見たりしています。「学ぶ」の語源は「真似る」です。将棋そのものはとても私が真似できるようなレベルではありませんが、その発する言葉や立ち居振る舞いから何か自分が感じるものを取り入れたいと思っています。自分が興味ある方の書いた本を読むことが好きですが、直接話を聞くことにさらなる喜びを感じ、会話をすること、知り合いになって深く話ができることには至上の喜びを感じます。そういう意味で、私の人生において、こんなに一人の方から深く広く何かを学ぶことはもうないだろうと思えるくらいの相手、それが小林正観さんでした。
真宗に「聞法(もんぽう)」という言葉があります。私はときどき真宗のお寺に行って、親鸞さんについて教わっているのですが、「阿弥陀如来の教え」といった体系のようなものがあるわけではありません。もしそういうものがあるならば、空手のように8級から始まって初段になり、少しずつその教えを極めていくのかもしれません。私が教わっている住職は8段というところでしょうか。しかし、学びは聞く側の一人一人にしかありません。聞く側が主なのです。ですから、これから綴っていくのは私の聞法なのです。「正観さんの教え」といったものではありません。生前、正観さんは自分のことをブログに書かれることをよしとしていませんでした。「私は小林正観さんから学び実践をしてこうなった」という自分の体験談ならばいいのですが、「これが正観さんの教え」という書き方のものは拒否されていました。なにより私が正観さんから命じられてそういうブログの主にアプローチをして話をしていたので間違いないのですが、それは、正観さん自身が「小林の教えといったような決まったものはない」と言い続けていたということなのかもしれません。
正観さんについて書かれたり語られたりするものをよく見かけるようになりました。それはこれからもどんどん増えていくと思います。そこに優劣はないし、どれが正しくてどれが間違いということもありません(「正観さんはそんなことは言っていない」といういわゆる“でっちあげ”はあるかもしれませんが)。私のこの「正観さんからこう聞いた」もその多くのなかのほんのひとつだと思って読んでいただけたら幸せです。ちなみに、私の名前が登場するときはすべてペンネーム「くりようかん」で統一しています。
ありがとうございます。
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