寄るべき人 とは何か?
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コラム
「寄るべき人」という言葉は、私が考えた言葉です。
ひょっとしたら、もうすでにどこかにある言葉かもしれません。
“ある状況”、それを伝えることが私が今書いていることの理由なのかも
しれませんが、その状況にふさわしい言葉を考えているときに
浮かんできたのがこの言葉です。そういう意味で、「私が考えた言葉」です。
「寄る」は「寄り添う」という意味。「べき」は、「~すべき」というように
「義務」の意味を持ってしまいますが、ここでは、「とうぜんそうあるような」
という自然なニュアンスで捉えてほしいと思います。
こんな場面を想像してください。
父親はエリートサラリーマン。仕事が忙しく子育ては妻に任せています。中学生になる息子Aは毎日学校に
も行っているし成績もまあまあ。非行もありません。でも、実はAは学校でいじめに合っているのです。
あるとき、Aがいじめっ子に絡まれているときに、その中の一人が足を滑らせて階段から落ちケガをしてしまいます。
もちろんそれは事故なのですが、Aが落としたことにされてしまいます。
数日後、Aの処遇を決めるための会議が学校で開かれます。
ところが、Aはその前日に失踪をしてしまいます。父親は必死になってAを探し、学校の屋上で
泣いているAを発見します。
Aは家族に、いじめられていることなどすべてを打ち明け、父親はAの味方になることを決意し、
実際に会議では全力でAを守ります。
このエピソードの中で、Aが父親にすべてを話したとき、父親は「寄るべき人」であった、という
ことができます。
もしかしたら、父親はそれまでも「Aの声に耳を傾けよう」としていたのかもしれませんし、
そのように、つまり「なんでも話すよう」、日頃からAに伝えていたのかもしれません。
ただ、その時点では父親は「寄るべき人」とは言えません。実際に、Aが父親に話した時点で
寄るべき人になった、そうであった、ということなのです。
ちなみに、クラスメートの証言によってAの潔白は証明されました。ただ、寄るべき人、というときに
問題が解決したかしていないかは関係ありません。問題解決能力があるかどうかは、寄るべき人の
条件ではないのです。
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