のび太のママはなぜ怒るのか?子育てに怒りや恐怖は必要ない

公開日: : コラム

大体現在までの読書量は3千冊くらいだと思います。私がこのブログで書いている内容は、そこから学んだことを元にしており、今回の記事もそのようなものだとご理解ください。本来は参考文献をあげるべきかもしれませんが、まあブログだからそこまできっちりしなくてもいいかな、というところです。

今回の記事で参考にするロジックは、

怒りや恐怖は、たとえば原始時代に人間が食うために猛獣と戦い、さまざまな危険から家族を守らなければならない、そのために必要な感情であり、現代日本で生きるために必ずしも必要な感情ではない。むしろ、怒りや恐怖によってIQが下がるために余計な感情とも言える

です。これが“正しい”という前提で話をすすめます。

必要なくても感情そのものはあるわけですから、私がいる児童福祉の世界においても怒る人は「それが正しい」という理由を述べるわけです。「間違っている」と思いながらやり続ける人はいませんから。

その理由をまとめてみると大体こんな感じかなと思います。

動物が二つの道を与えたられています。左に行くと電気ショックが走る。右に行くと何もない。その動物は何度か電気ショックを受けるうちに必ず右の道を選ぶようになる。これを人間に置き換えてみます。
たとえば、借りた金を返さない子どもがいたとします。それに対して大人が何も言わないと子どもはその道(返さない)を選ぶようになる。それに対して大人が怒ると子どもはその道を避け、お金を返すという道を選ぶようになる。つまり、「怒り」を電気ショックのように利用するわけです。

これに対する私の反論は「電気ショックがある方をわざわざ選ぶ子どももいる。それが人間」ということです。そして、それはなぜかというと「人間はセルフイメージに従って行動をする」ということです。

セルフイメージに関してこんな話をします。いぜん、ホームレスの自立支援をしている知人に話を聞きました。ホームレスの方に生活保護を受けてもらい住居を提供する。すると住所が手に入りますから就職活動ができるようになる、簡単に説明するとこのような支援です。
その入居者の方で生活保護費を受け取ると数日でそれを遣い果たしてしまう、そういう方が多いそうです。私はホームレス生活を経験したことはありませんが、「今日どうやって食うか」という生活ではないかと思います。
そういう生活を続けてきた方がとつぜん安定した収入を得て計画的な生活ができるようになると、これまでとの違いから落ち着かなくなりわざわざ元の生活に戻そうとするわけです。実際にもらったお金を2、3日で使い果たし「今日どうやって食うか?」という状況に自分でしているわけです。
「今日どうやって食うか考える自分」というセルフイメージがあるために、それとは違う「安定した生活」が与えられると自分でセルフイメージに合うように行動をする、ということです。

のび太のママは、たとえば学校のテストの点のことで、よくのび太を怒鳴りつけますね。じゃあ、それでのび太が勉強をするようになるかというとそうはなりません。
「勉強ができず親から怒られ続ける私」というのび太のセルフイメージを強化しているだけなのです。

「怒りは必要ない」という話でした。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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