しつけと虐待は違う わがまま、頑固でいい子育て論
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最終更新日:2017/01/28
コラム
しつけが行き過ぎた
これは、福祉の世界に関わるものとして何度も聞かされる言葉です。福祉には、親から何らかの虐待を受けたことのある子どもがやってくることがあります。
ただ、虐待をしたとされる親が「虐待をした」と思っているわけではありません。あくまで「しつけ」「指導」「教育」であり、それは子どものために必要だった、という論理です。
もし、「しつけ」というのが「子どもの権利条約」に記されている「子どもの最善の権利」にもとずいたものならば、その延長線上で子どもの生命に危険があるのはおかしい。
親から厳しいしつけを受けた結果として、「自分はこうしたい」という希望を言うことができなくなった10代の子供がいます。親からみると「わがままを言わない」「親の言うことをよく聞く」子どもでしょうが、本人は、「ダメ出しをされ続けた結果として言うのが怖くなった」のです。
ただ、彼女はそのことに気が付いているのです。中には「自分はどうしたいのか」を感がることすらしなくなり、完全に“上”の言いなりになっている場合があるでしょう。
子どもはわがままでいい、頑固でいい
5歳の娘を育てる中で私はそう思っています。というより、この年代の子どもに対して「わがまま」や「頑固」などという言葉を当てはめることがおかしい。
こわくて何も言えなくなるよりも、親を困らせるくらい主張をできるほうがいいと思っています。
しつけをしないなら、何もしないのか?いえ、親は自分がどう生きるかだけを考える、のです。
「“こんにちは”を言いなさい」「“ありがとう”を言いなさい」
私は、むかし勤めていた会社の社長から「これは絶対子どもに言ってはダメ!」ときつく言われました。なぜか?これをやり続けると、子どもは親に言われないと、もしくは親の顔色をうかがわないと、挨拶ができない子どもになってしまうからです。
自分がきちんと挨拶をする。親にできることはこれなのです。
ちなみに、私の娘は「こんにちは」も「ありがとう」も言います。
北海道の「子ども置きざり事件」をきっかけにして、しつけについて考えをまとめてみました。
私は、自分(親)の中の「怒り」や「イライラ」が問題だと思っています。解決方法については他の記事で「ブッダの言葉」としてまとめています。
読んでくださりありがとうございます。