子どもが泣きわめくのを「観る」 子育てが楽になる方法
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コラム
どうやったら自分の気持ちが楽になるか
20代前半からそんなことを考え続けてきました。それほど20代のときは「生きる」ということが「キツかった」のです。
「今はそうでもないかな」、そう思うことができる時点でもう「解決」しているのかもしれませんが、最近ある本を読んでこんなことに気が付きました。
5歳の娘が「ワーワー」わめく→私の心が乱される
こんなパターンを繰り返してきましたが、先日、彼女がわめくのをただ「観る」(「見る」ではなく「観る」です)ということをやった結果、そこに「静寂」がありました。
楽になるのは簡単
非常に簡単なのです。「私の側」の問題なのですから。わめく子どもを黙らせる必要もないし難しい「躾」をする必要もまったくありません。
私が勝手にイライラしていた
そういった印象を受けます。
簡単なのになぜ楽にならないか?それは前回の記事でも書いたとおり、
楽になりたいと思っていないからです
その「静寂」は「退屈」なのです。さらにその「退屈」を観ると違う境地があるそうなのですが・・・。
この「退屈」を経験する方法があります。「歩く」のです。しかも考えることは自分の「足」。右、左と交互に踏み出される足を意識するのです。
おそらく30分もやり続けることができないと思います。「退屈」だからあなたの脳みそが別のことを考え始めるのです。
気持ちが楽になるとあなたは孤立する
このようにして、「静寂」を感じたもののしばらくするとまたいろいろなことを考えその静寂が乱されます。わざわざそうしているのです。楽になりたくないのです。「敵」と戦っていたいのです。頭の中で子どもと格闘するのがけっこう「楽しい」のです。
なぜか?前回も書いたのですが、そのほうが「酒がうまい」のです。「快楽」を得ることができるのです。
「楽」になると「快楽」を捨てないといけないみたいです。
それでもあなたが気持ちを楽にしたくて「観る」「見つめる」ことやり続けたらあなたは「孤立」するのです。
あなたが「苦しみ」を感じている間は友人はあなたを受け入れてくれ、そこに「心地よい」空間ができます。ところがあなたが「幸せ」を全開にした瞬間に友人はあなたを避けるようになります。
あなたの周囲にもいる「相談に乗りたがる人」も、あなたが「苦しみ」をうったえている間はとても親身になってくれそこに「心地よい」空間ができます。
ところがあなたが「幸せ」を語るとその方は満足しません。あなたを信用しないのです。あなたが「苦しみ」を口にするまであなたを「追いかけ」ます。
かれこれ16年考えてきて辿り着いた答えがこんなことでした。「そもそも自分は楽になりたいと思っていない」ということです。
しかし「楽」はどうもそこにあるという、そのような結論です。