賛否両論北野武の新しい道徳が面白い
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最終更新日:2015/10/14
コラム
「新しい道徳」(北野武 幻冬舎)を読みました。
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「賛否両論」と書いたことにはそれほどの意味はありませんが、ご本人も「はじめに」でこのような“断り”を入れています。
他人のいったこと、他人の書いたこと、あるいは他人の考えたことを、そのまんま鵜呑みにする性癖のある読者は、ここですぐさまパタンと閉じて棄ててしまっていただきたい。・・・こういう馬鹿なことをいう奴もいるのだと、笑い飛ばしながら読んでいただけるのなら、著者として、これ以上の幸いはない
わたしたちの道徳
「新しい道徳論」は、文部科学省の学習指導要領の「道徳」に突っ込みを入れよう、そんな本です。
最初に武さんが取り上げているのが、小学1、2年生向けの教材「わたしたちの道徳」です。
↓これですね
〈PDF〉わたしたちの道徳
出だしの「自分を見つめて」に早速突っ込みを入れています。
小学一年生が、自分を見つめるわけないだろう。他人だって見つめないのに。
私の娘も年齢的にはもうすぐ小学一年生の年ですが、確かに娘に対して“自分を見つめる”ことを要求しようとは思いません。
娘と生活をするなかで、私自身が「自分を見つめる」ということは日々やっているのですが。
トイレそうじ
私は何度か「トイレそうじ」についての記事を書きましたが、その中に武さんが登場していたことがありました。
直接本に書いてあるのを読んだのは初めてなので引用をします。
俺は汚いトイレを見ると、掃除をせずにはいられない。飲み屋でトイレに入って、前の人が粗相をしていたりすると、つい掃除をしてしまうのは昔からの癖みたいなものだ。今までいった何遍、見ず知らずの他人が汚したトイレを掃除したことか
どうしてこの話が出てきたのかというと、“道徳の言葉が薄っぺらい”という話からです。「トイレを綺麗に使いましょう」と書かれた貼り紙くらい薄っぺらい、とこういう話なのです。
トイレを綺麗に使うことを「間違いだ」という人はいないでしょう。ただ、じゃあそれを子どもに伝えればそれでいい、ということにはならないのですね。
“そこに嘘がある”ということを武さんは指摘しているのです。
トイレ掃除なんて嫌々でしかやってこなかった大人が、トイレ掃除を“正しいこと”として教えるようなことになりはしないか、ということですね。
武さんがトイレ掃除をするのは「トイレを綺麗に使いましょう」と道徳で教わったからではないのです。
「トイレを綺麗に使いましょう」という貼り紙を見て、そりゃあそうだよなあと納得してやっているわけではない
と言っています。
ちなみに、最近
きれいに使ってくださってありがとう
というトイレの貼り紙を見ることはありませんか?
私の知人で、「嫌味だねえ」という誤解をしていた方がいたのでここで説明をしておきます。
たまたま、私はそれを最初にやった方の話を知っているのです。
それは、とあるコンビニの店長の話です。
そこは繁華街にあるコンビニで、しょっちゅうトイレが“汚されます”(想像がつきますよね)。
トイレはきれいにご利用ください
という貼り紙をしていますがそんなこと関係がありません。
あるときその店長は気が付きました。
汚す人もいるかもしれないが、きれいに使っている人の方がはるかに多いのではないだろうか。自分はその人たちに目を向けたことがあるだろうか?
それで、「汚す人は仕方がない。汚さない人に目を向ける」、ということで「きれいに使ってくださってありがとう」という貼り紙を貼るようになったそうです。
それが広まったのでしょう。
画像出典は写真素材足成です。