健全な肉体に健全な精神は宿る、の本当の意味
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コラム
元箱根駅伝の選手がわいせつ罪で逮捕されるという事件を受け、為末大(ためすえだい)さん、言わずと知れた世界陸上のメダリストですが、このニュースについてコメントを求められ
スポーツをしているからといって人格が磨かれるわけではありませんから
と“さらっと”言っていました。これは、「スポーツでは人格が磨かれない」という意味ではなく、「スポーツをやっているからといって必ずしも人格は磨かれない」という意味です。
空手で精神は磨かれるか
この為末さんの発言。私も空手をやっていたときに疑問に思っていたことです。 元メダリストの証言が得られたことは刺激になります。 空手をやっていたときに、中学生や高校生の“空手家”たちが 空手をやると精神力が鍛えられます と言うのをよく聞きました。 おそらく大人がなんとなくそう言っているのを真似しているだけだと思いますが、確かに空手の世界で 人格的に素晴らしい(ここでは精神力があることと人格的に素晴らしいことを同じ意味で使います) 方にも出会ってきましたが、そのいっぽうで 人格に偏りがある 方にも多く出会ってきました 。ようするに“偉そうな”方たちもたくさんいらっしゃるのです。 とても「 空手をやると精神力が鍛えられる(人格が磨かれる)」 と言い切ることはできません。
為末さんのブログ
私は、淡々とこういう発言ができる為末さんに興味を持ちブログを読んでみました。 2013年の記事ですが、「意思という勘違い」というタイトルで、 「動かそう」という意思よりも先に「動き」がある という“ある方”から聞いた話を紹介し、 自分という区切られた存在はあるのか、それとも自分とは外部からの刺激で成り立っているものなのか という哲学的な思索にまで為末さんの思考は展開します。 児童養護の世界に従事している私が疑問に思っている子どもへの指導のひとつが 「よく考えて行動しなさい 」です。 間違いなく“正論”でしょうが、子どもにはまったく通じていないこの台詞。 もし、為末さんが問題提起をしているように、私も含め子どもも 「行動」の後に「意思」が続いている のならば、私の疑問も的外れではないかもしれません。 躾(しつけ)とは大人の側の生き方だ と言ったある児童養護の方がいますが、私の頭の中ではそこにもつながってきます。
健全なる肉体に・・・
さて、私が大学時代グラウンドでトレーニングをしていたら、他大学の教授に道をたずねられました。そのときに教えていただいた言葉が、「健全な肉体に健全な精神は宿る」です。その言葉に感動し、私はトレーニングに励んだわけですが、その後、この言葉が正確には、
健全な肉体に健全な精神が宿るように
というものであることを知りました。想像するに、肉体的な力が支配する世の中で願いを込めて言われたことばなのでしょう。
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