なぜ「思考の整理学」は大学生のバイブルとなったか?
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最終更新日:2017/01/28
コラム
「思考の整理学」(外山滋比古著 ちくま文庫)。「200万部」という、現代ではちょっと信じられない発行部数を記録している本です。特に大学生の間でバイブルのような存在になっています。
最初の数ページに書いてあることは、「学校」や「勉強」というものをよく言い表しています。私の6歳の娘は「学校には行かない」と、彼女にとってのおばあちゃんが「ランドセルを買ってあげる」と言ったことに返答しましたが、その娘の判断を肯定するどころか、学校に行かせることがおそろしくなる、そんな内容です。
仮に娘が学校に行ったとしても、「学ぶ」ということを学校に任せっきりにしないでよくよくここに書いてあることに注意すること、それが「教育を受けさせる義務」を親として本当に果たすことになる、ちょっと堅苦しいですがそんなことを思ってしまいます。
その数ページには何が書いてあるのか?それは、
学校はグライダー人間の訓練所である(本文より)
です。
グライダーと飛行機は、飛んでいるところをみると似ていますが、“自力で飛ぶことができない”という点で違います。すべての子どもは“飛行機”であるにもかかわらず、学校に行くうちに“グライダー”にされてしまうということですが、どういうことでしょうか?
こどもというものは実に創造的である。たいていのこどもは労せずして詩人であり、小発明家である。ところが、学校で知識を与えられるにつれて、散文的になり、人まねがうまくなる。昔の芸術家が学校教育を警戒したのは、たんなる感情論ではなかったと思われる。飛行機を作ろうとしているのに、グライダー学校にいつまでもグズグズしていてはいけないのははっきりしている。(本文より)
著者は、
グライダー能力-受動的に知識を得る能力
飛行機能力―自分でものごとを発明、発見する能力
として、これはひとりの人間の中に同居している、と述べます。両方のバランスが必要なのですが、学校教育が整備されるにつれて、グライダー能力が圧倒的で飛行機能力がまったくなし、そういった“優秀”な人間が多く排出されているというように現状分析をしています。
だから大学生たちのバイブルにされているのか・・・
と私は納得しました。
まさに私もかつて、大学に入学をして何をしていいのかわからなくなった、そんな学生のひとりです。高校までは、学校から与えられる課題をクリアすればそれでよかったのですが、大学に入ったら“自分で考える”ということをしなければならないのです。結局、そこがよくわからないまま4年間が過ぎてしまいました。もしとうじの私がこの本に出会っていたら、といっても当時は文学部のくせに本を読むことが嫌いでしたが、きっと心に響いたことでしょう。
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